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エコノミスト臨時増刊号 2002年

企業リポート:浜松ホトニクス

産学共同の風土が育てた「光」を究める企業

小柴昌俊東大名誉教授のノーベル物理学賞受賞に大きく貢献した企業は浜松という「インキュベーター
的風土」によって育まれた。
小柴昌俊さんと田中耕一さんのノーベル受賞は私たちの気持ちを明るくした。15万年前、マゼラン星雲にある一つの巨星が大爆発し、その時発生した10兆個を超える量のニュートリノが1987年に地球に到着した。小柴さんは地球を突き抜けていくこのニュートリノを、二ヶ月前に完成した観測装置によって検出して、ニュートリノ天文学という新しい学問領域を創造した。ドラマチックな話である。宇宙の方々にある星が爆発した結果、地球に降り続けている微量のニュートリノを観察すれば、宇宙の生成の歴史や滅亡の運命を描けるはずだ。 

それまでにニュートリノは理論的には存在が証明されていたが、あらゆる物質を通り抜けるから検出できなかった。小柴さんは1979年に浜ホト(浜松ホトニックス)の昼馬社長に、大口径光電子倍増管を創れないかと相談した。光電子倍増管は光センサーであって、その光電面に光が当たると、多くの光電子が放出して、光を電気的な信号に変える機能を持っている。大口径の光電子倍増管を沢山並べれば、ニュートリノが検出できる。

それは世界最大の3倍近い口径を持つ光電子倍増管を創るという無理な相談だった。ところが昼馬さんは引き受け、1年後には試作に成功し、2年後には約一〇〇〇個の大口径・光電子倍増管を納入した。しかしニュートリノ文学を捕らえるには、もっと大型の実験装置が必要だった。

 「田中さん」との意外な縁

一九八七年、神岡鉱山の地下1000メートルにある東大宇宙研に、水3000トンが貯められている直径40メートルの円筒の観測施設が完成した。その円筒の廻りには口径50センチという超大型の光電子倍増管一万一二〇〇個がぎっしり並べられた。それは世界最大の観測設備だ。宇宙から降り注ぐ多様な素粒子は地下一〇〇〇メートルに達する間に地層に吸収され、ニュートリノだけが残る。そのニュートリノは、三〇〇〇トンの水に突入して反応を起こして、レオンチェフ光を発する。この微細な光を検出しようというわけだ。

この超大型の光電子倍増管は、ガラスの透明度が優れ、微細な光を通し、かつ巨大な水圧に耐えられる強さも持っている上に、優れたセンサー機能を備えなければならなかった。浜ホトはこの電子倍増管の開発に全力投入し、三億円の赤字を出して納入した。この観測装置が完成した二ヶ月後に、ニュートロンの雨が地球に降り注いだ。

田中耕一さんは瞬時にタンパク質の構造と質量を分析できる技術を開発した。かれの研究では分光光度計が必要だ。分光光度計は光源から一種の光線を放出して、微量な物質を光電子倍増管によって測定・分析する計器である。田中さんが研究していた頃の島津製作所製の分光光度計では光源と光電子倍増管ともに浜ホトから供給されていたので、かれの研究も浜ホトの技術と無関係ではない。

浜ホトは「光技術」の専門メーカーだ。光には「光子(フォトン)」の性質と「波」の性質の両面性がある。浜松フォトニックスという社名はフォトンから来ており、光子の性質を利用したセンサーの開発が得意だ。光電子倍増管の開発力では世界水準を超え、世界市場における生産シェアは60%に達し、フィリップスやRCAを遙かに抜き去っている。

浜ホトは、(1)光電子倍増管のような厳密な測定用の真空管センサー、(2)半導体を使った多様な超小型センサー、(3)光センサーを利用したいろいろな測定器等を生産している。浜ホトの光センサーは我々の生活の至る所で利用されている。リモコン、カメラのオート・フォーカス、CDなどの光ディスク、ATMや自動販売機の識別、オート・エアコンの日射量測定、ビデオカメラの画像測定、光ファイバー通信における受発光等、例を挙げればきりがない。

特殊な利用には次のような例がある。DNA解析、細胞の活動の画像解析、血球の測定、X線CTスキャナー、脳の機能解析、癌の早期発見とレーザーによる治療、身体の三次元スキャニング(オーダーメードの衣服に利用可能)、X線照射による非破壊検査などである。

ごく近い将来、浜ホトの技術によって、脳の機能解析によって痴呆の治療が可能になり、また手術なしに癌を治療できる。高性能の光通信が広がり、またオゾン層の詳しい状態が観測できる。レーザー光線技術が向上すれば、どんな材質の物質でも、どんな巨大な構築物でも、正確に、加工切断できる。レーザー照射によって、植物の工場生産が可能だ。核融合の期待が広がる。光技術は多様な発展の可能性を秘めている。

 本田宗一郎とも「同門」 

浜松は自動車と楽器と「光」の工業都市である。2次大戦前から産学協同研究が活発だった。光産業は浜松高等工業(浜松高工、後の静大工学部)の研究室から生まれ、本田宗一郎は浜松高工の社会人聴講生だった。高柳教授は当時単なる夢であったテレビの開発に本気で取り組み、1926年に「イ」という文字の受像実験に成功した。間もなく浜松高工には電視研究所がつくられた。浜ホトは、高柳門下の堀内平八郎氏や昼馬輝夫氏などによって発展した会社だ。

堀内さんは敗戦後直ぐ東海電子管研究所をつくり、間もなく、昼馬氏を始めとする高柳門下生等が集まって、誘蛾灯やネオン広告塔等の生産を始めた。工場は焼け跡の土蔵とその前の小屋であり、夏には屋根のトタンに水をかけても、40度を超える室内でガラス加工の作業をした。堀内氏の奥さんは重要な労働力だった。

この会社は先端技術を利用した新しい光技術製品を次々に開発した。それに応じて社名が東海真空管(株)、浜松テレビ(株)、浜松ホトニックスと変わった。電子倍増管の生産には、光が当たると電子を放出する光電面の材料の開発、蒸着や焼成、ガラスの加工技術が必要であり、研究者の協力が不可欠だった。この町工場は、浜松高工や静大工学部との深い協力関係を築いていた。

光電面の材料や蒸着技術等の重要技術の開発では、静大の工業化学科、材料研究所、真空管研究所の教官達が外国文献を調べ、大学の施設を共同利用し、また実験に協力した。テレビ用カメラを開発した時には、静大の検査機や実験設備を利用した。また浜ホト(当時は浜松テレビ)の開発要員は、静大工学部に研究生として派遣され、幾つかの研究所や教室で数年間研究を続けた。工学部の研究生は浜ホトに就職した。浜ホトは静大工学部の実験工場であり、工学部は浜ホトの基礎研究所だった。

産学共同研究の伝統はずっと続いた。電子倍増管によるニュートリノ検出は東大宇宙研と浜ホトとの一〇年近くに亘る共同研究の成果だった。一流の大学や研究所に対する実験・試験設備を納入している企業は、最先端技術を身につけるようになる。かっての大田区や墨田・台東区の中小企業は、東大医学部・工学部などの実験設備を納入して、世界水準を抜く技術を蓄積した。浜ホトは現代の「大田区型企業」といえる。

昼馬社長は次のような固い信念をもっている。学問は過去の知識の集積であるから、新しい発見や開発には役立たないどころか障害になる。何かに取り憑かれたように、誰も見向きもしないテーマに取り組み、無駄とも思われる実験や試作を黙々と積み重ねるなかから開発が生まれる。

飛行機は、空を飛びたいという変わった意欲を持った人々が長い期間にわたって、明らかに変人・奇人と思われる奇妙な実験を積み重ねた結果生まれた。学問のある人はそうした突拍子もないことはしない。彼等は人は空を飛べない理由を理論的に述べるだけだ。昼馬さんは「学説を真に受けない」、「経験から生まれた知恵を大切にする」、「開発に取り憑かれる」という人材を育ててきたという。理論からではなく、現場で考え、実験して、開発の糸口を掴むことが重要だ。浜ホトでは売上高の一五%が研究開発費に向けられているが、そのうち半分は工場現場における開発に向けられている。

浜松高工やかっての静大工学部には開発心が漲っていたが、新左翼運動によって産学協同が否定され、文部省の管理が厳しくなるとともにこの伝統が失われた。幸いにも、そうなった時、浜ホトは自力開発の力を備えていた。

 「神の領域」への探求 

昼馬さんはクリスチャンであり、神を信じ、光を通して神に近づこうしているらしい。ニュートンは神が世界を支配する力を探求して、遂に万有引力の法則を発見した。ヘーゲルは人類が努力を重ね、歴史は弁証法的に発展し、ついに「絶対精神の世界」、つまり「神の国」が来ることを証明した。ベートーベンは神を称える歓喜の合唱をつくって死んだ。堀内さんは、少年の頃、今見ている北極星の光は、800年前の光であるいう宇宙の神秘に打たれて、浜松高工に入学し、高柳さんの弟子になり、光を研究したという。

昼馬さんは光電子倍増管を武器にして、宇宙創造の力を探求した。ニュートリノの検出は、彼にとっては、神が創った宇宙の研究であり、経営的には大赤字を出してもやるべき仕事だった。彼はしばしば「光の先に神がある」という。光は微細な振動を続けているそうだ。それが遺伝子に突き当たった結果、変化した振動を超精密な光電子倍増管で検出できれば、生命の本質に迫ることが出来る。それによって脳を細かく解析できれば人間存在の根拠が判るかもしれない。また物質の本質も解明される可能性がある。

「ウルトラ・ミクロの世界」と「大宇宙の探求」によって神の国に近づける。少なくても、科学と哲学と神学を融合できそうだ。彼は神から選ばれて、光によって神を求めるべき運命を担わされていると信じているかもしれない。そう考えれば、彼の終生変わらない光探求の努力と成功を理解しやすい。彼が話し始めると、熱を込めれば込めるほど、内容が難解になってくる。それは我々聞き手が神に関心がないからだ。

なお、浜ホトの製品の多くは海外で高い評価を得た後に、日本で売れた。昼馬さんは「俺はクリスチャンだから、白人と話題がつなげられるので、欧米でのセールスが楽だった」と冗談を言うことがある。

浜松周辺から、トヨタ、ホンダ、スズキ、ヤマハ楽器、ヤマハ発動機、カワイ等の世界企業が次々に生まれ、またシンセサイザー、立体CADーCAM、特殊な工作機械産業機械、自動車のモジュール部品、特殊な検査機械など、その分野では世界で圧倒的なシェアを占めている企業が、30社ぐらいある。最近の言い方をすれば、そこでは、「暗黙智」が尊ばれ、「摺り合わせ技術」が蓄積され、学問よりも「技術・技能の巾広い熟練」が大切にされた。大工、鍛冶屋、時計修理工、ラジオ修理屋等が企業を起こし、国際的な大企業に育て上げた。(拙編著「浜松企業強さの秘密」東洋経済参照)。

昼馬さんは、昔の浜松高工との共同研究の夢が忘れられないらしい。現在、浜松医大、静大工学部と協力して、大学院大学をつくり、レベルが高い研究をしたいと考えている。浜ホトは空洞化現象とは無縁であり、技術開発力によって発展し続けている。

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