価値総研「Best Value」

2008年9月

新興国が動かす産業革新

1. トヨタの不安

トヨタは、云うまでもなく、日本を代表する世界企業である。低公害車の開発力が優れ、また設計、部品生産、組み立まで、細かく「摺り合わせ」が行われ、乗り心地が優れ、絶対に故障を起こさない乗用車を創った。また在庫管理の巧さは、神業だと云われた。

トヨタの生産ラインは名人芸だと云われた。ベテランの多能工が職長としてラインの中軸にいる。彼はそのラインのそれぞれの仕事について、経験があり、熟達している。生産ラインには期間工が多いから、しばしば欠勤者がでるが、職長は欠勤者の仕事を引き受けたり、またラインの何人かの仕事を増やしたりして、それを巧みにカバーする。職長はそのラインのベテランであるから、命令に従わせる威厳を備えている。

職長を中心とした生産ラインの人は、まず機械設備をしっかりメインテナンスし、故障を起こしやすい機械設備や、使いにくい機械設備については改善を考える。トヨタの強さは、工場現場の人材が優れ、頻繁に改善を提案することにあった。トヨタは競争相手の企業が、工場見学に来ても恐れなかった。他の会社が真似しようと決意しても、人材の強さをつくるには、長い期間が必要であり、成果が生まれる頃には、トヨタはさらに進歩しているからだ。

ところが、最近、トヨタの圧倒的な強さが少しずつ失われているという。それは、トヨタが悪いのではなく、新興国の急成長と共に、世界が変わってきたからだ。先ず第1に、トヨタのアメリカにおける現地生産が成功し、GMの地位を脅かすほどに強力になったが、その戦略は大型化と高級化だった。

しかし、新興国の急成長と国際金融市場における過剰流動性の発生と共に、原油価格が高騰し、アメリカ経済が不振になり、大型の高級車が売れない。そこで低炭素車・プリウスにつおて、現地生産能力の拡大を計画しているが、すぐには間に合わない。トヨタは、原油価格の高騰とアメリカ経済を予測できなかった。振り返ると、1970年代のオイルショックの時には、トヨタはアメリカ市場で小型車を一挙に拡大して、確固たる地位を築いた。しかし、今回は、予測にかなりの遅れがあった。

第2は、世界的には、低炭素車の中心はハイブリッドカーではなく、ジーゼル車になる可能性が大きい。EUのメーカーは低炭素ジーゼルカーの開発を続けており、その技術水準の高さを考えると、革新的なジーゼル車が生まれる可能性が大きいという。エネルギーでは、ドイツの風力発電と太陽電池、フランスの原子力発電等、低炭素関連の産業における技術進歩は目覚ましい。EUは経済成長力を強めると共に、技術開発力が急速の向上した。

シャープは、つい最近まで太陽電池では世界1の企業だったが、ついに首位の座をドイツの企業に明け渡した。ジーゼルエンジンについても、EUの開発水準が高いと言われている。トヨタのジーゼル車に関する技術的蓄積はそれほど厚いわけではない。事によると、携帯電話と同じように、将来、海外市場から追われるかもしれない。

2. 中国・インドのモータリゼイション

第3に、トヨタは中国やインドといった巨大な市場に対する安全を重視して、遅れて進出したが、モータリゼイションののスピードは予想を超える勢いで進んでいる。両国合わせると、所得が1万ドルに越した人が3億人に達し、中国の大都市では高級車が売れ始めた。

中国農村部には、出稼ぎ労働者の所得の増加や、農産物の値上がりなどの要因によって、年率8%ぐらいの成長を続けている村が多い。また、沿岸部の賃金が上昇したので、工場が中西部の都市に立地し、そこでは、雇用が増えて、経済成長が刺激されている。今後、人口の大半を占める農村部が次第に豊かになり、未曾有のスケールで長期間にわたるモータリゼイションが起きそうである。

インドではIT産業が急成長した。インドのように、交通インフラが脆弱であるが、世界的水準を抜く工科大学が7つも揃っている。つまり、技能の高さと賃金の低さは、ITソフトの発達に適している。欧米の金融機関や医療機関から、システム開発や運用の注文が増え、またIBM、インテル、マイクロソフト等の大型の開発拠点が次々に進出した。

また、インド政府は91年に外資の進出をを自由化したので、90年代中頃から、自動車、IT、鉄鋼、電機、化学等の外資が進出した。またタタグループ、リライアンスグループの成長が顕著であって、それとともに中産階級層が膨張した。

モータリゼイションは、2輪車、軽トラック、軽乗用車、小型乗用車 中・大型乗用車の順序であり、中国では大都市が中型車、地方都市や農村が軽自動車・軽トラックの普及段階に入ったところだ。インドでは、タタ・自動車の25万円の簡易自動車が人気を集め、また、中産階級には、150万円ぐらいの高級軽自動車の需要が強い。

インドへもっとも早く進出したのはスズキ自動車であり、進出当時のスズキは、生産の軸を2輪車から軽自動車に移した弱小自動車企業だった。トヨタは、インド政府の合弁申し出でに対して、にべもなく断った。インドの将来性を評価しなかった上に、ブランドイメージが下がるから、品質が低い自動車を安く生産すると気持ちになれなかった。

明治の初期に、イギリスは日本に対して、広幅の織物を輸出したが、売れなかった。日本では小幅が使われていたからだ。イギリスの織物業者は、日本人が豊かになれば、広幅に変わると考え方を変えなかった。ところが、当時、新興国だったドイツは日本の市場を調べ小幅織物を輸出し日本市場を奪った。トヨタは、イギリスの織物業者に似ているかもしれない。

ところで、自動車メーカーにとって、新興国の市場は重要だ。中国、インド、ブラジル、ロシアの人口は、合計30億人近くに達しており、これに対し工業国の人口は10億人以下である。

新興国が年率8%で成長して、2%成長の工業国に迫ってくる。世界の歴史では、追いかける國の人口は、追いかけられる國の人口より常に少なかった。日本が2次大戦後、先進工業国を追いかける時には、アメリカとイギリスの人口合計は、日本・ドイツ合計の約2倍だった。

大人口の國が急成長すると、自動車需要の分布も変わる。05年における販売台数は、アメリカとECがそれぞれ約1700万台に対して、新興4カ国は合計約1300万台だった。今後、アメリカとECの需要がそれぞれ年間2%伸びると、年間の需要増は約50万台だ。これに対して、新興4カ国が8%伸びれば、100万台の新規需要の増加になり、マーケットが飛躍的に拡大する。

なお、日本では、自動車の保有台数は、今後、かなり速いスピードで減少傾向を辿りそうだ。まず自動車を乗り回す若い人口が減る。06年には、16才~69才の人口は約8000万人であるが、20年後には5500万人になるという予想だ。また、75歳以上の老人は、約1000万人から2000万人に増えるという。75歳以上の老人の半分が自動車の運転を止めるだろうから、日本全体で、20年間に、自動車を運転する人口は2000万人も減ることになる。当然、自動車需要は減るだろう。

中国の人口が老齢化するのは25年先であり、インドは25才以下の人口が50%近く占めている。少子化問題を持っているのはロシアだけだ。今後30年間以上、自動車需要の中心は新興国になるだろう。

ところで、自動車の生産台数は、ECが1200万台、日本が900万台、アメリカが400万台に対して、中国500万台、他の3カ国が400万台であるが、最近の年間生産増加台数は、ECが30万台、日本が20万台、アメリカ横ばい、中国60万台、他の3カ国は50万台と、新興国が遙かに大きい。 自動車産業を支えるのは鉄鋼業である。それは、工業国の代表的基礎産業と言われ、日本が高度経済成長を続けた1965年頃には、日本の鉄鋼業は世界のトップ水準に躍り出た。現在の粗鋼生産量を見ると、日本1億1000万トン、アメリカ9000万トン、ドイツ5000万トンに対して、中国が4億2000万トンで群を抜いたトップであり、その他新興3カ国合計で1億2000万トンに達し、アメリカやEUを抜いている。

3. コピーが支える経済成長

第4の問題は、トヨタが得意とする摺り合わせ技術の強さを発揮しにくいことだ。中国は市場経済の國であると同時に、社会主義国家であるから、固有な生産システムが発達している。日本の自動車メーカーは、エンジン、トランスミッション、電装品、動力伝達部品始めとする主要部品については、一部は内製し、大部分は長期間取引を続けてきた系列部品メーカーに外注した。

部品メーカーは、その部品を特別生産し、他社には決して売らない。もし、製造のノウハウを他社に漏らした場合には、永久に取引を中止させられるから、企業の存立に拘わる。日本の自動車メーカーは、大部分の部品を系列メーカーだけに生産させるという封鎖的かつ垂直的な生産組織を創ってきた。

この閉鎖的な生産組織のなかで、自動車メーカーと部品メーカーとの細かい技術的な摺り合わせが重ねられ、実に繊細な動作をし、極めて乗り心地の良い自動車が生産された。トヨタは、この摺り合わせ技術が特に優れている。

ところが、中国では閉鎖的・垂直的な生産システムが成り立たないようだ。それは中国の歴史と深く関係している。中国には、2種類の自動車メーカーがいる。1つのグループは、外資系であって、全生産台数の60%を占めている。フォルクスワーゲン、GM、ホンダ、日産、スズキ、フォード、トヨタ、現代、シトロエン等がそれである。もう1つのグループは中国企業であり、その数は100社を超している。

中国では、主要部品を垂直的な組織の中に統一しているのは外資系企業だけである。中国企業の多くは、開放的であって、エンジンやトランスミッションのような最も重要な部品まで外部企業から購入している。何故、そうなったか。

その1つの理由は中国は社会主義国家であって、知的所有権という概念が存在せず、技術は国家が開発するから、それは全人民的な所有物だという考え方が強いためだ。国営エンジン会社の設計図や生産ノウハウは、他の国営企業は勿論、中国の民間企業もコピー可能であり、そうした結果、知識と技術は国中に広がるのである。

北京の中関村地域には、日本の秋葉原のように、電子部品やパソコンの部品を売る店が密集しているビルがある。そこには、お客が要望する機能を備えたパソコンを組み立て、コピーのソフトをインストールしてくれる店が沢山ある。非常に低価格だ。

そうした廉価のコピーパソコンが中国全土に広がり、中国の情報化は目覚ましいスピードで進み、インターネットの情報だけで、反日運動が盛り上がったり、四川省大地震では、大勢のボランティアが集まったりするほどになった。

中国の自動車企業は、エンジンを始めとして主要部品を組み立てるだけの企業である。設計もコピーであるから、年間生産台数が100台に満たない企業もある。

30年ぐらい前のことであるが、私は、北京の社会科学院で知的所有権について講演した。その際、すべての聴衆は、私の話の内容を理解できなかったらしい。日本人は、漢字を使い、論語を習い、仏教を信じ、印刷機や火薬を使い、絹織物を着ている。それらは、すべて中国から移転されたものであるが、中国は一度も知的所有権を主張したことがない。 人類共通の知識を何故独占し、特許料を取ろうとするのか。発明した人を表彰し、名誉を与えれば、発明の刺激になる。発明を独占するのは、人類の進歩に反するものだと反論された。中国人がコピー商品をつくった時、罪悪感を持つようになるのは、かなり先のことだろう。

4. 多様な需要

中国式の生産システムが生まれたもう1つの理由は、社会主義時代には、小都市は一つの自給自足の集団だったからだ。大きな国営企業は、工場、従業員の社宅、小・中学校、バスと運転手、建設職人等を抱えていた。市役所は、当然、都市内の自動車会社にバスやトラックを発注した。多くの都市で、幾つかの自動車メーカーが生産した同じコピーバスが走っている場合が少なくなかった。大都市では、同じ自動車メーカーが生産したタクシーばかりが走っているが、それの市当局が決定した結果だ。価格原理が隅々まで浸透しているわけではない。

上海万博では、全国の役人は無料入場する可能性がある。それを止めさせなければ、採算割れになるかもしれないので大問題だ。中国は日本を遙かに超えるコネ社会だる。

最後の理由は、部品企業を競争させて買いたたくことができることだ。エンジンのような高級な部品についても、コピー製品が多く、トヨタやホンダのエンジンのコピーが、いろいろな経緯を辿って生産された。三菱自動車はエンジン工場の建設が許可されたので、自動車工場の建設許可も近いと考え、まず大規模なエンジン工場を建設した。ところが自動車工場の許可が下ったのは4年後だった。やむなく、三菱自動車は、しばらくの期間、専らエンジンを生産して採算をとった。日本製エンジンが市場で販売された。(丸川知雄・現在中国の産業による)。

ジョイントは自動車の車体を支える最も重要な部品であり、日本の「ソミック石川」の製品は国際的に見て超一級製品であるが、中国では、「ソメック石川」というブランドの模造品が流通していたことがある。日本の企業は、本物であれ、偽物であれ、中国の開放的な部品調達のなかに位置づけられている。

中国の自動車メーカーは、要求される自動車の性能の合わせて重要部品を買い、また部品の性能に合わせて、自動車の設計を調整して、多様な自動車を生産しているのだ。性能は日本車より相当に劣るが、価格は半分以下である。日本車の性能が優れているのは、例えば、ドアが軽快な音を立ててしまったり、車内が静かであるだけではなく、社外でもマルで無人のように静かに、故障なしで走るといったものだ。

中国でも、何日も走る長距離理バスは乗り心地が重要である。しかし短距離バスは、乗り心地が悪くても苦にならないだろう。また、中国では街道沿いに、自動車の修理屋が実に多い。安い自動車を買い、時々故障しても、それほど困らない。地方都市や農村では、安い軽自動車が好まれるはずだ。中国における自動車需要は多様であり、中国企業はそれに応えているから、競争力が強いに違いない。

5. 総合商社のような家電メーカー

家電の生産でも、開放的な部品調達である。
日本の大手家電メーカーは、ブラウン管(液晶パネル、プラズマ・ディスプレイ)、基幹IC等の基本部品を内製化している。垂直的に統合して、摺り合わせると、微妙な美しい色を出せるのである。

これに対して、中国では、大家電企業でも、基幹部品を内製化したり、系列企業で生産したりして、閉鎖的な垂直生産組織を創ろうとする意欲がない。すべて外注にして、部品メーカーを競わせて安く仕入れようとするのだ。製品の特色をだして、差別化する時には、性能を指示して外注しなければならない。その時にはコスト高になる。

丸川教授によれば、中国の企業は、例えば、どの企業のブラウン管を使っても同じような色彩が出る回路を開発して、どんなブラウン管でもソケットによって回路に繋げるようにしてあるそうだ。中国政府は、当初、ブラウン管の規格を統一しようとしたが、外資系企業の反対が強くて失敗したが、いかにも、社会主義の政府が考えそうなことだ。。

日本の家電メーカーは、1910年代から20年代にかけて特許で苦しんだ。当時はラジオだったが、最も重要な部品である硬質真空管の特許はGEー東京電氣(現東芝)が独占的に所有して、膨大な利益を上げていた。その経験があるから、松下電器は 2次大戦後、直ちにフィリップスから半導体技術を導入する契約を結んだ。家電メーカーにとって、基幹部品の内製を当然な行動だった。

ところが、現在は、主要部品は容易に入手できる。中国では、日本の家電メーカーだけではなく、韓国、台湾、ヨーロッパのメーカーが基幹部品を生産している。現在、大部分の中国人にとっては、色の鮮やかさとか、微妙な陰影よりも、価格や外観が需要である。そういう市場では、部品を購入する際に、多くの企業を競争させて安く仕入れるという経営戦略は有効である。

また、中国企業は、全土にセールスマンと故障を直すサービスマンを配置し、細かいニーズを吸い上げ、またそれに応えることができる。中国の家電メーカーは、極端な言い方をすれば、家電の総合商社であり、日本の家電メーカーはその下請け部品企業であったり、特殊な高級品を生産するブランド会社になりつつあるようだ。

中国は、超高度成長路線を走ってきた。その結果、沿岸地方では賃金が上昇して、もはや労働集約産業は、採算に乗らなくなってきた。中国政府は外資に依存した経済成長を止める方針だ。税法上の外資優遇政策を廃止し、輸出優遇税制も止める。優遇措置は、経済が遅れている中西部や、ハイテク産業や環境保全産業に限られる。中国系の企業を育成する方向に変わりつつある。

中国では、産業構造、企業戦略、産業政策が日本とまるで違っているが、見事な成長を遂げた。インドやロシアも、同じように、日本と違っている。そういう国は、莫大な人口を抱えて追い上げてくる。世界の産業が変わるのは当然である。 以上

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