アジア動向

静岡アジア・太平洋学術フォーラム2011報告 3月

世界の変革と原発問題

1,原発推進国が多い

大型の新技術製品は、大事故を起こすことがあり、大事故が技術進歩を促進し、改良された安全な製品が生みだすものだ。

豪華客船ではタイタニック、大型飛行船ではツェペリン号、超音速旅客機ではコンコルド、宇宙ロケットではコロンビア号等が大事故を起こしたが、改良を重ね、現在では、いずれも安全な輸送手段となった。
原子力も例外ではなかった。今までしばしば大事故が起り、その都度、廃止すべきだと言われた。しかし、調査の結果、それらの事故は何れもトラブルで済むはずだった。判断ミスや操作ミスが重なって大事故に発展したものだ。そこで、設備装置を改良し、操作員を訓練すれば、事故を防止できると思い直し、多くの國で大規模な原発計画が実施された。現在、世界で約450基の原発が運転中であり、建設中と計画中の原発はそれぞれ約50基に達している。

ところで、福島原発事故後、世界では原発廃止をきめたのはドイツだけだ。推進国は次の4グループに分けられる。。

第1は、中国やインドのような新興国である。現在の主たる電源は、空気を汚染する石炭火力であり、国内輸送能力の過半は、石炭の長距離輸送に奪われている。これらの国では燃料の容積が小さく、C02を排出しない原発を、人口密集地近くの工業地帯の近く建設したい。彼等は、福島原発事故によって、軽水炉の欠点がはっきり判り、緊急対策についてのノウハウも得たと考えている。

中国では冷却水を発電炉に上に置いたり、緊急時にはヘリコプターで運ぶシステムを研究している。また安全度が高いガス冷却炉の開発を急いでいる。彼等が原発を推進しようとしているのは、次のような考え方に基づいている。

まず原子力発電は人類が開発した最先端技術であり、それを発展させるのが、現代人の義務である。つぎに、原子力発電技術を核兵器の開発と同時に進めれば、進歩のスピードが速まる。核兵器は防衛上不可欠な兵器である。また廃棄物処理技術は今後、急速に進歩するだろう。

第2のグループは、ベトナムを始めとする発展途上国である。都市に環境汚染が深刻であり、石炭火力は増やしたくない。水力発電は、水資源不足である。原発によって、大量な電力を得たい。
第3は、先進国である。福島事故によって、原発に関する技術的改良点、安全を守る行政組織、緊急危機対応策等がはっきりした。それによって、原発の安全性が向上した。フランスは原発中心の発電体制を保つだろう。

アメリカは30年ぶりに原発建設を決め、韓国は計画のテンポを落とすが、建設を進める。

第4は、軍事的目的を兼ねた原発開発であり、イラン、北朝鮮がそれだ。

これに対して、ドイツは22年までにすべての原発を廃止することを決定した。しかし、ドイツはフランスの原発から大量な電力を輸入しており、再生エネルギー以上に、石炭火力を増やすという。ドイツには膨大な石炭資源があるからだ。結局、CO2の発生量は増えそうだ。スウェーデンは、膨大な水力資源持っているので、1時期、原発を新設しないことを決めた。しかし、その後、原発が耐用期間に達した時、そこに新しい発電炉を建設できるように訂正した。

世界のエネルギー事情は、大きな変化を起こしている。ロシアの天然ガス埋蔵量が激増し、アメリカでは、オイルシェルの抽出技術が進歩し、その埋蔵量はアメリカがエネルギー自給国になれるほどだ。ヨーロッパは、電力網が接続されている。モロッコの砂漠に、大型化太陽光発電所が幾つも建設され、海底直流送電によって地中海を越えて、ヨーロッパに運ばれる。

これに対して、原発はウラン資源が50年先には枯渇する。それを救うのが増殖炉であるが、技術が確立していない。使用済み燃料の貯蔵場所がない。こういう事情で、原発離れの気運が生まれていた。
ところで、福島の原発事故は人災だった。事故を起こした発電炉は構造上欠陥があり、災害に襲われた時、全電源喪失が起き、その上水素爆発が発生し易い。35年も前に、アメリカ議会でこの欠陥問題が取り上げられたにも係わらず、日本ではそれが無視された。

また、地震学者は古文書や地層によって、災害の歴史を研究した結果、近く巨大な地震や津波が発生する恐れがあると警告していた。また東電の研究ティームは、3年前に、10~15メートルの津波に襲われる可能性を指摘した。

もし、このような事実が真剣に受け止められ、大規模な改修工事が実施されていれば、大事故を防げたはずだ。東北電力の女川発電所は、アメリカで欠陥問題が議論された4年後に着工され、欠陥の一部が改良されたので、震源地に近かったにも拘わらず、小さな被害で済んだ。
もし、原子力発電を推進する組織と、安全性を評価して建設・稼働を許可する組織が完全に分離し、かつ原子力学会や原子力業界が開放的であって、お互いが激しく非難し合うという姿勢を改め、原子力業界が地震学者の警告を素直に受け止めていたならば、事故は避けられたに違いない。

2,欧米経済の衰退と社会不安

ところで、世界経済は大きく変化した。まずEUは経済危機に襲われた、ギリシャを始めとする南欧諸国は、財政赤字が膨張して、国債の信用が低下し、価格が暴落している。銀行が大量な国債を所有しているので、銀行は大きな損失を被って、経営危機に追い込まれている。

そのため、銀行の貸し渋りや貸し剥がしが拡大して、金融機能が働かなくなった。EUは、財政危機と金融危機に落ち込んでしまった。経済強国のドイツが大きな犠牲を払うかどうかが、EUの存続を決める要因になっている。EUの目的は、強国ドイツを欧州化することにあったが、逆に、欧州がドイツ化されそうだ。、危機を素直に克服できそうもない。

つぎに、アメリカ経済も財政赤字に苦しんでいる。その原因は、リーマンショックから立ち直るために、大規模な減税が実施し、かつ銀行救済のために、膨大な財政資金を投入したからだ。その上、アフガンとイラク戦争に巨額な軍事費が注入され続けた。家計は住宅バブル崩壊の打撃から、立ち直っていない。ローンの返済に追われ、消費を増やせない。

アメリカは、イラクとアフガンで戦い続けるだけの経済力がなくなり、イラクに続いてアフガンからも撤退する。

EUやアメリカ経済に混乱をもたらした重要な要因の1つは、中国やアジア諸国の成長だ。中国は世界の工場になり、鉄鋼、自動車、家電、繊維、雑貨等の生産では断然世界1である。中国の総輸出額の25%がEUへ、20%がアメリカに向かい、家電、繊維、雑貨等の消費財産業に、決定的な打撃を与えた。
アメリカやEUの企業は、90年代から、工場、研究所、企画、流通本部等を中国に移し、かつ中国人を現地経営者に迎えることによってコストを引き下げ、そこから、中国国内や海外に販売し、利益を増やした。また、大型店は系列化した中国の企業群に、大量かつ継続的に発注して、低コストで仕入れた。
そうした結果、EUやアメリカでは、雇用が失われ、経済が低迷した。そこから脱却する方法が低金利政策だった。それが住宅バブルを生み、その結末が、08年に発生したアメリカのはリーマン・ショックであり、EUの金融危機だった。

そこから立ち直るために、アメリカでも、EUでも、膨大な財政資金が投入され、財政赤字は巨額になった。

こうした混乱の過程で、海外に子会社を持つ大企業は収益が拡大し、銀行は救済されて、それぞれの幹部は高額な報酬を得ている。それに対し、多くの産業は中国との競争に敗退した上に、政府は財政緊縮政策に着手したので、失業者が街に溢れている。貧富の差が著しく拡大したため、欧米の各地でデモや騒擾が発生した。

3. 中国は改革を迫られている

中国経済は、2つの最大輸出先であるEUやアメリカ経済の構造的な不況によって輸出が停滞している。そのため、中国はつぎの4つの難しい課題を抱えるようになった。第1は、欧米経済が停滞を続けるだろうから、輸出主導だった経済成長パターンを内需主導型に転換するという課題である。それは市場経済原理に任せるのかどうかである。

沿岸地方では、最近、賃金が年間20%以上も上昇している。賃金上昇とともに、内需が拡大するはずである。しかし、労働集約型産業はコスト高になり、工場がベトナムやラオス等、低賃金国に移転している。その結果、繊維、雑貨など産業は、倒産企業が激増して、大量な失業が発生し、ストライキが頻発している。内需が期待したように増えないのである。

政府は、内陸部へのインフラ投資を拡大して、雇用機会を増やし、民工を吸収したい。しかし、賃金上昇のスピードが速過ぎるので、

企業倒産が増え、失業問題を解決できそうもない。社会的混乱をさけるためには、そこで、健康保険や失業保険制度の充実が喫緊の課題になった。それらが整えば、将来の不安が消え、消費性向が向上して、中国はバランスがとれた成長パターンに向かうことが可能だ。

第2は行政システムの改革である。省長を始めとして地方の首長は、上位の首長から任命され、GDP成長率等の目標が与えられ、達成率を客観的に評価される。

省長は中央政府の任命であり、任期が5年であるから、その間に業績を向上しようと努力する。金融機関を動かし、民間企業の設備投資を刺激し、かつ産業を保護して、リスクを減らす等、その場限りの政策を実施しがちである。

そのため、過剰投資が発生したり、社会資本等の歪みが多くなる。省長や首長が長期的観点から、バランスある政策が実施できるように仕組みを変えなければならない。それには民意を反映する組織が必要だ。
第3は、司法の分離である。中国では模造品の生産が國全体に広がっている。外国企業は特許権侵害を強く非難しており、国内では、新製品を開発すると、直ぐ模造品が出回るので、新技術の開発意欲が失われて、画期的な大型製品が、生まれないという。
模造品の多い原因は、地方政府が黙認していることにある。省長は、國から省のGDPを高めるという命令を受けている。新型製品の模造品の生産は、民間企業の成長には効果的であり、雇用も増える。かって、パソコンの低廉な模造品が中国全体に広がり、パソコンの普及率が短期間で高まり、中国は情報化社会へ転化した。模造品は社会の進歩にも役立つ。
ところで、中国は独裁国家であって、省長が省の判事を任命し、裁判が効率的に進んでいるかどうかをチェックし、それによって、判事や弁護士が評価され、昇進や報酬が決まる。

したがって、中央政府が、模造品の取り締まりを要求しても、省は見逃し、訴えられても軽い刑になる。司法の独立が必要になってきた。

第4は、伝統社会の崩壊である。一人っ子政策の影響が現れ、労働生産人口が全人口に占める割合は、15年から減少トレンドに入ると予想されている。また上海や北京等の大都市では少子化が進み、一人っ子政策が緩和されても、人口の減少傾向は止まらない。

大都市には、地方の農村からの出稼ぎ労働者が永住している。大都市の生活費が上昇し、かつ労働集約的な産業が衰退しているので、生活が苦しいが、彼等は都市生活に慣れており、農村に戻る気がない。工場や商店における労働は、農業におけるそれより楽である。故郷には老いた親が残されている。

大都市におけるサラリーマンの大部分は マンションで核家族の生活を送っており、親との同居が減った。

中国の伝統的社会では、父親が権威を持ち、子供は兄弟が平等であり、結婚後も父親の家に同居する習わしだ。大家族は全メンバーが協力し、田畑を開墾し、また家・屋敷を広くした。数十代を経過すると、家族は大家族から、さらに、同族・部族に拡大し、村が血族ばかりになった。大家族制から成る部族国家を守るために生まれた倫理が儒教だった。儒教によって、老後の生活は安定していた。
中国経済の急成長とともに、最近、20年の間に、猛烈な勢いで都市化が進み、少子化傾向と相まって、伝統社会が崩壊し、これから、日本と同じように孤独死の老人が激増するだろう。急いで充実した年金制度を創らなければならない。

こうしてみると、中国の経済や社会が、大変革を迎える時が来た。

4、日本の長所・短所

1980年代には、太平洋は日米の2大経済大国が競い、90年代になると、太平洋の西岸は、日・韓・台の時代になった。2000年代には、世界経済の中心は大西洋から太平洋に移り、アジア経済は中・米・印の3カ国が軸になって動き始めた。日本経済の影は薄くなった。

ヨーロッパ経済は危機を迎え、アメリカは経済的、軍事的覇権国家たる地位が危うくなった。それと同時に、アメリカと結合していたアラブの幾つかの独裁政権が崩壊し、イスラム化の波が中東だけではなく、アジア、ヨーロッパを覆っている。世界どこでも、スカーフのイスラム教徒を見かけるようになった。
世界は激動期にある。日本経済は長期デフレに苦しみ、賃金は20年前と同じ水準だ。そうした時、東日本大震災・大津波と原発事故が襲った。

日本人は大地震に冷静だった。東京では帰宅難民が300万人に達したが、争いごとがなかった。大学、デパートが難民に開放され、デパートは、床に寝ころんだ人に、毛布や乾パンを配った。

東京では物不足になったが、それに乗じて不当に値上げする店はなかった。 人々は計画停電にも、電車の間引き運転にも、文句も言わずに、不便に耐えた。

3月の日本は喪に服しているようだ。春の甲子園選抜大会は黙祷で始まり、満塁ホームランを打った選手は、ホームを静かに走り抜けただけだった。

新宿駅を始めとする鉄道の拠点駅では、所狭しと大勢のボランティア集団が屯して、震災義捐金集めに声を嗄らした。彼等は、現地でボランティアの受け入れ余地がないので、やむなく、募金活動に熱中した。
震災から2ヶ月近く経過し、災害地が落ち着くと待ちかまえていたように、日本各地からボランティアが殺到した。5月の連休の東京では、ボランティアの申し込み開始時刻の10分後には定員が一杯になった。交通費と滞在費を自ら負担して、ボランティアが続々と、被災地に向かった。

全国の自治体は、割り当てられた被災地自治体に職員を派遣した。関西の自治体では、地震後4日目には市長が自ら自動車を運転して、陸中海岸の都市まで、食料とガソリンを届けた。
被災地の避難所は清潔に保たれ、緊急食料を受け取る列は横入りする人がなく、整然としていた。外国人は日本の秩序に驚嘆した。

ところで、地震や原発事故を巡って2つの問題が生まれていた。まず、アメリカ軍2万人とオーストラリア軍2000人が震災直後の人命救助に大活躍したことである。日本はアメリカの軍事体勢の中に完全に組み込まれており、大災害の場合は、直ちに、アメリカ軍が派遣されるのである。しかし、オバマ大統領は見舞いに来なかった。

恩家宝首相は震災後直ぐに現地を見舞った。が、日本は中国救援隊の数を制限した。アジアにおける日本の軍事的、外交的立場が、明白になった。

つぎに、人災・原発事故の最大の要因は、原発賛成派と反対派が激しく対立していたため、過去50年間、事故の発生の可能性や対策について、冷静に議論する場がなかったことだ。議論すれば、直ぐ血が上り喧嘩になってしまう。お互いに、大人らしく、会わないようにしていた。

原発事故後も、原発漸減派と即時廃止が激しく対立して、冷静な議論が出来ないという点では少しも変わっていない。漸減派と廃止派とは、世界の変化や日本経済についての考え方が、あまりにも隔たっており、まるで改憲論者と護憲論者の食い違いにそっくりだ。日本は、思想的に分裂国家であり、それが最大の弱点だ。

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