アジア動向

10月1日

「徳の政治」の腐敗

共産党や政府幹部の汚職・不正蓄財は、中国的社会主義の存在を揺るがす深刻な問題であるが、それは儒教と深く関係しているから、急には直らない。儒教の仁は、すべての人を平等に愛することではなく、両親、祖父母、血が近い肉親からというよう順序がある。

権限をもった幹部が、肉親を優遇するのは、中国の伝統からみると、悪いことではない。共産党幹部の子弟は一流大学を卒業し、海外留学の一流大学に留学して、贅沢な生活を送り、政府や党の幹部に就任しているのは不自然ではない。政府の幹部の半分は太子党であり、国有企業の幹部もそうである。
中国では、投票による直接民主主義は危険である。人口が多いので、候補者の政策や人格を知らせきれない。また一旦ポピュリズムが広がると止まらない。大躍進政策や文化大革命では、ポピュリズムの欠陥が如実に表れ、毛沢東は異常な権力を行使した。人口大国における直接民主主義はポピュリズムを生みやすい。

昔から、賢人が徳の政治を行うべきだと考えられており、賢人を選ぶのは、賢人の話し合いによっている。現在でも、共産党幹部の賢人達が、トップの総書記を選んでいる。

大国になった中国では、トップは余分なことは言わない。例えば、「中国は平和を望んでいる」、「話し合いが重要だ」、「すべての国の人民は平等である」と言うような当たり前のことを、重々しく述べるのである。アメリカの大統領のように、公衆の前で、政策をあれこれ述べたり、公然と論争したりしない。平和な時代の総書記は賢人であり、「天」に代わって徳の政治を行う人であるから、べらべらと軽薄に話さない。

密室では、しばしば基本的な政策を巡って内部闘争が繰り返され、指導者の一部が失脚する。指導部のメンバーは、地域や機関の利益を背負っているので、素直に引き下がれない場合がある。また、省長の権限が大きいので、政策の失敗が目立ち易く、その責任を追求される。

しかし、「徳の政治」では、権力闘争が外部に気づかれてはまずい。密室で静かに戦い、また言論統制を敷き、国民には内部論争の有無すら知らせないものだ。何よりも調和が必要である。もし、この静かな「徳の政治」が「公開論争の政治」に変わると、全国各地の反政府運動を刺激し、國の統一が乱れる。中国政府はそれを最も恐れている。
将来の総書記と云われていた薄熙来氏が12年に失脚した。華やかな個人生活や長男の贅沢な留学生活は、明らかに「徳の政治」の枠を外れていた。

新聞報道では、共産党幹部で巨額な資金を持って、海外に逃避している人数は1万人を超え、国内で4万人が賄賂罪で逮捕されている。密室における徳の政治は、明らかに限界に達し、汚職の原因になっている。

ところで、2次大戦の時、日本軍が8年間で膨大な数の中国市民を殺した。敗戦の時には、中国では国民党と共産党の内戦が始まっており、国民党政府は約200万人の日本軍を武装解除して、無事に帰還させた。市民を大量殺戮した責任者は、南京軍事裁判や東京国際裁判で死刑になったが、中国人にしてみると、明らかに報復不足であり、反日の空気は現在でも中国を覆っている。尖閣列島問題は、その1つである。

尖閣列島は、中国にとっては、西太平洋の制海権を握るために、不可欠な領土である。中国は、古くから、外資や外国軍隊の進出を認め、もし外問題が起きた時には、戦いの場が国内になるから、俄然有利である。

日本軍は中国大陸で戦い敗れた。現在、多数の日本企業が中国に進出している。尖閣列島問題では、暴力的なデモに日系企業を襲せ、不満のガス抜きをしつつ、外交的な譲歩を引き出すという巧みな戦略を取っている。しかし、反日運動が、失業、環境破壊、貧富の格差、幹部の腐敗等の問題と結合して、反政府運動に転化する危険性があり、手心が難しい。

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