アジア動向

静岡新聞論壇 9月20日掲載文

日韓に太い政治的パイプを

80年代にも反日運動

日韓両国は、過去、しばしば激しく対立した。80年代後半には、日韓併合は国際的に合法的だという記述の歴史教科書が出版され、猛烈な反日運動が起きた。

私は日韓国交回復以来、ほぼ毎年、韓国を訪れており、この時には、当時の駐韓前田大使と韓国で日韓問題の討論会に出席したが、会場は騒然とし、前田大使は罵倒を浴びせられて十分に発言できず、私には話すチャンスは全くなかった。ソウルのバーでは日本語で演歌を歌った日本人観光客が韓国人に殴られ、瀕死の重傷を負うという事件もあった。

そうした中でも、国交上の大事件が発生しなかったのは、朴泰俊、金鐘泌等、日本語を自由に話せる韓国の大物政治家と、中曽根、竹下等の総理候補や経験者が、毎年、何回もゴルフ等を楽しみながら、日韓対立を解決する落しどころを探った結果だった。
二〇年ぐらい前まで、韓国は反日・嫌日で固まっていた。旧朝鮮総督府は歴史に残る名建造物だったが、不愉快な建物として90年代に解体された。韓国人から最も嫌われている日本人の1人は加藤清正であり、80年代の韓国では、日本旅行の時、清正の城下町・熊本市に近寄るのはタブーだった。

現在では、留学や旅行を通じて日韓の文化交流が深まり、韓国が日本の遺産を評価し始めた。植民地時代に建てられた東京駅そっくりの赤煉瓦建ての旧ソウル駅は、新幹線の開通とともに不要になったが、改修保存され、立派な文化館として蘇った。

加藤清正は朝鮮に出兵した時、各地に出城をつくり、狼煙を情報通信に利用した。最近、2つの出城が発見され、清正の優れた築城技術が評価され、研究のため熊本城を訪れる韓国人研究者が増えた。

ところが、最近、突然、反日運動が盛り上がった。それには理由がある。韓国経済は、世界経済の不振の影響を受け、輸出が減少して不況に落ち込み、その中で、三星と現代が利益を大幅に増やした。それは単純労働を低賃金の非正規社員に変え、需要の変動に応じて雇用を調整し、人件費を減らしたからだ。この巨大な2社を除くと、ほとんど全ての企業は不振であり、失業が増えている。

精通した大物が不在

貧富の格差は拡大し、借金と家賃に苦しむ世帯が増え、自殺率は日本を抜き、OECDでトップになった。李政権は国民の不満を反日に向けるため、大統領自ら竹島に上陸して、挑発的パフォーマンスを演じ、ほぼ成功した。

現在の東アジアでは、中国、ロシア、北朝鮮、アメリカの軍事力や経済力がせめぎあい、日韓米豪の同盟強化が期待されているが、日韓は逆方向にある。

残念ながら、日韓両国の政界には相手国の言葉を自由に使い、心を割って話し合える大物が消えてしまった。現在の大物政治家は英語を自由に話し、アメリカへの政治的文化的関心を深めている。日韓では民間交流が深まったが、大物政治家の交流は全く希薄になり、李大統領は気軽に反日運動に走った。残念ながら、日本は中国とも同じ状態にある。

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