価値総研「Best Value」

2011年1月

中国の経済力と思想の力

1. 福祉主義と自由主義の争い

アメリカでは、福祉主義と自由主義との対立が深まっている。オバマ大統領は福祉主義のリーダーであり、3月に医療改革法を7月には金融規制法をそれぞれ成立させた。医療改革は、オバマ大統領の人生を賭けた仕事であり、インドネシア訪問等の重要な外交日程をキャンセルして、議会対策に当たり、僅か7票差で下院を通過した。

この医療改革によって、2014年からメディケイド(低所得医療保険制度)の対象が拡大され、約85兆円の財政資金が投入される。その結果、医療保険加入率は現在の83%から95%に上昇し、未加入者数は1700万人に減るという予想だ。

オバマ大統領は、公的保険制度による国民皆保険を狙っていたが、議会では反対が多かった。そのため、政府が低所得者に対して、民間保険への保険料を援助するという妥協案に落ち着いたが、国民皆保険の一歩が踏み出されたことは確かだ。アメリカにとっては画期的な改革と言える。

自由主義者は、予想通り医療改革に激しく反対した。その根拠は、まず第1に、政府が国民に医療保険加入を押しつけるのは、明らかに自由の侵害である。医療保険は生命保険や火災保険と同じように、一種の保険であって、それに加入するかしないかは、個人の自由である。

国民は、病気に備えるためには、医療保険に加入する他に、いろいろな選択がある。例えば、1,普段から身体を鍛え、栄養バランスが良い食事をとる。2,病気の時の出費に備えて株式投資や不動産投資等によって資産を蓄積しておく。3,自分や子供の教育に投資して、家族全体の所得が増加するよう努力する、4,将来に備えるより、現在を大切にする。大病するとは思われない等である。医療保険への強制加入は、国民から選択の自由を奪うものだ。

第2に貧しさは自己責任である。病気に備えるのも自己責任だ。医療保険への加入を援助するために、巨額な財政資金を投入するのは無駄だ。今後も失業者が増え、また従業員保険を廃止する企業が多くなり、その上、医療が高度化して、1人当たりの医療費が増加するから、財政支出は予想を超えたスピードで拡大するに違いない。それは増税に跳ね返るから、重税は国民の勤労意欲を奪うだろう。数千万人の貧しい人を救うために、アメリカ経済全体が大きな損失を被る。

金融規制法案でも、福祉主義者と自由主義者が激しく争った。アメリカでは、70年代から金融自由化が進み、80年代後半には、アメリカ経済の成長と相まって、投資銀行、ヘッジファンド等多様な金融機関が発展した。ところが、2000年代に入ると、住宅ローンは低所得層まで拡がり、金融工学が発展したので、この住宅ローン債権は複雑に証券化されて市場に売られ、巨額な資金が絶え間なく住宅ローン会社に流入した。金融機関は自由な行動を許されていたので、住宅ローンが抱えるリスクを隠蔽した新金融商品が次々に開発され、それは、アメリカ国内だけではなく、世界の金融機関に販売された。

06年頃から低所得者向けの住宅ローンが不良債権化すると、この詐欺のような新金融資産の市場価格が瞬く間に暴落し、08年にはリーマンショックが発生した。オバマ大統領は、金融機関の自由な行動こそ、投機的な投融資を生み、住宅バブルを発生させ、遂にリーガンショックが起きた判断し、金融機関の行動を強く規制しようとした。

そのため、過大な融資を防ぐために自己資本比率の基準を高める、また株式投資を制限し、さらにリスクが大きいデリバティブを禁止する等を内容とした金融規制法を制定した。

自由主義者は激しく反対した。彼等は、政府による規制は、常に大きな悪い副作用を伴うと考える。例えば、最低賃金を引き上げれば、労働者の生活が向上するように思われる。しかし、賃金コストの増大が、製品価格の上昇に跳ね返り、需要が縮小し、生産の低下と失業の増大をもたらし、労働者の生活は悪化する。

金融規制を強化すれば、ベンチャー企業に対する金融機関の投融資が止まり、技術進歩が阻害され、経済成長の源泉が涸れてくる。
アメリカでは、自由主義が建国の精神であり、その考え方は國の隅々まで拡がっている。自由主義者の反オバマ運動は、アメリカ独立の切掛けになったボストンの「ティーパーティー」と同じ名称を名乗っている。運動の中心は白人である。

2. 自由主義の移転は可能か

自由主義も福祉主義もキリスト教をバックにしている。キリスト教によれば、人間は不完全な存在であり、私たちがこの不完全性から脱却する2つの方法がある。

その1つは神の意志を発見することだった。ニュートンは、この世を支配する神の意志を、万有引力の法則に発見した。17世紀から18世紀にかけて、哲学者は理性が世の中を動かす原理であり、人間が理性を使うことは神の意志である。人間は理性によって、不完全性をカバーし、進歩できると考えた。さらに理性は神の分身だと思われるようになった。

ヘーゲルやマルクスは理性としての神は歴史を積極的に発展させ、究極的には神の世界を実現させると思ったようだ。ヘーゲルはそれを弁証法による絶対精神の実現と云い、マルクスは、階級闘争による共産主義社会の実現だと考えた。

これらの理論によると、歴史を動かすのは神の意志であるから、理性的な政府は国民の福祉向上のために、民間の経済活動に介入する権利を持っている。非常事態の時には、理性的な独裁政治が許されるはずだ。こうした思想が極端に走って、ファシズムやプロレタリア独裁を生み、人類の悲劇をもたらした。自由主義者が、福祉主義を嫌うのはそのためだ。

もう1つの考え方は、人間は不完全であるから、如何なる人も、他人の最終的な判断に介入する資格がない。すべての人は等しく無知である。従って、個人の行動は個人に任せるべきであり、他人はとやかく口出す権利がないというのだ。

個人が自由に行動しても、社会には決して大きな混乱は起きない。政治の分野では、無記名投票による民主主義が最も安定した社会をつくっている。経済の分野について云えば、市場には人の知恵が蓄積され、自主的秩序が生まれた。経済的取引に関する知識や情報が拡がり、不公正な取引が自然と排除され、市場では公正な価格が形成され、 新古典派経済学が想定する自由な市場が創られた。

この民主主義と自由経済の思想は、17世紀の終わり頃にイギリスで生まれ、18世紀始めにフランスに広がり 18世紀終わりにアメリカへ移転された。アメリカはヨーロッパ思想を伝搬するには最適な國だった。

それはコロンブスによるアメリカ発見以来、ヨーロッパ人がその風土をすっかりヨーロッパ風に変えてしまったからだ。まず原住民の90%は抗体を持っていなかったので、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘、麻疹、インフルエンザ等の病で死んだ。ヨーロッパ人は森林を伐採して、馬、豚、羊の牧場に変え、小麦、大麦、リンゴ、蜜柑、葡萄 レモン等の農場や果樹園をつくった。それらの動物や植物は、新大陸には存在しなかった。牧師は開拓地に赴き、信仰を説いた。民主主義と自由経済の思想が開拓地の拡大とともに広がり、

新古典経済学の思想的基盤が形成されていた。

アメリカ人は、自国の歴史から考えて、民主主義と自由主義はどの國へも移転可能だと信じ、驚くことに、イラクやアフガニスタンへも移転できると思いこんでいる。

3. 中国的個人

日本は長い歴史を持ち、伝統的な考え方が強く、また唯一神がいない國である。そのため新古典派経済学の想定とは、かなり異なった日本的市場経済が生まれた。1980年代まで、世界の知日家からは日本は一種の社会主義国だと云われたものだ。

中国やインドは数千年の歴史を持っており、漢民族とヒンズー民族は、長い人類史を生き残った。その過程では、異民族と巧みに共存し、独特な文化を創り、広大な地域にわたる文化圏を形成した。その文化圏の人口が10数億人に膨張したのは、強烈な思想が存在しているからに違いない。

もし、個人の存在が絶対であり、如何なる人も、その考え方や行動に介入できないという個人主義思想が拡がっていたならば、社会の団結力が弱まり、数千年の歴史の間には、外敵に滅ぼされただろう。
中国思想は現実だけに着目し、神とか、個人の絶対的自由とか、絶対的な善とかいった形而上的な問題を追求しなかった。それはどれほど深く考えても、答えが得られない事柄であるからだ。孔子は「怪力神」を語らなかった。儒教と道家は代表的な中国思想であるが、何れも専ら人の生き方を問題にした。

中国には、ヨーロッパ流の「平等な個人」は存在しなかった。孔子は仁を説いた。仁とは愛であるが、親しい関係にある人程、深く愛さなければならない。それは父母であり、祖父母であり、祖先である。すべての人を同じように愛さないのである。

ヨーロッパは、12世紀から農業中心の社会に変わり、共同作業による三圃制の農業が広く行われ、また共同の牧草地を使った。そこに参加する農家の単位は夫婦と子供の小家族だった。この時代から、家族とは小家族であり、両親、兄弟、親類は全く別の家族だった。村落共同体は、血縁関係がなく、信用できない他人で成り立っていたから、権利を主張し合って契約を結び、相互に監視し合った。

これに対して、中国では紀元前から大家族が協同して農業に励んだ。種まき、水田地方の田植え、刈り入れ等では、大家族の労働力が必要であり、灌漑設備を建設し、維持補修工事を行い、また外敵に備えるために、多数の大家族が集合し、数千人や数万人の巨大血縁集団に纏まる必要性があった。

そのため、儒教では祖先崇拝が最も重要な道徳になった。それは血縁共同体の結束を固めるのに必要だった。同じ祖先を持つ家族数は、年代を経るに従ってねずみ算的に増大した。私的な血縁共同体は巨大になると、公的な共同体に発展し、天子を頂点とする政治的・宗教的ヒエラルヒーに成長した。天子は人格が優れ、仁の政治を行う人である。孔子は祖先に対する孝と天子に対する忠を道徳の中心に据えた。

こうしてみると、中国ではヨーロッパにおける絶対的な個人という概念がもともと存在しなかったと云える。個人は先祖から継承された土地や財産を受け継ぎ、それを外敵から守り、子孫に渡す義務がある。個人は、連綿と続く大家族の中に生きており、完全な自由になれないのだ。

中国における儒教と並ぶもう1つの大思想は、老荘の道家である。道家は対立・差別・争いの現世を嫌い、また儒教的な生き方を非人間的だ批判した。人は自然のままに無為に過ごし、安静な生活を送るべきだという。人間は、知恵を擦り落せば擦り落とすほど、欲望が消え、満足感に満ちてくるそうだ。彼等は理性をまるで信じない。理性はない方がいいのだ。

便利な道具があっても使わない、今まで着ていた衣類をつけ、有り合わせの物を食べ、狭い小屋に住み、鶏や犬の声を聞き、近所付き合いもしない。老子はそうした「足を知る」生活こそ素晴らしいと述べている。小企業から成る経済社会を創ろうとした。

4. 矛盾が正しい

中国では、どんな思想に対しても、黒白をはっきり付けない。2つの対立する思想について、どちらが正しいかを議論しない。黒白を徹底的に争う西欧とは対照的だ。

中国人は対立を陰陽としてとらえ、陽が多くなったり、陰が多くなったりするが、陽か陰かどちらかだけになるとは、決して思わない。儒教が支配的時代がなっても、道家の人は道家の生活を保つた。時代が経てば、道家の時代と思っている。彼等が活躍した2000年後の現在、環境問題が深刻になり、道家の生き方が求められている。

文化大革命(文革)の時、全国の若者が紅衛兵となり、実権派打倒に立ち上がって、内戦状態に落ち込み、膨大な数の死者が出た。1000万人という説もある。しかし、巨大都市から遠く離れた小都市や農村の学校では、文革と関係なく、それまで通りの授業が続いていたという。2つの考え方や生き方が、ごく当たり前のように、平存していた。

そのため、文革が終了すると、直ちに、政府の政策は、文革時代の独裁的社会主義とは正反対の自由な市場経済に移行したが、大きな混乱は起きず、経済の高成長が始まった。

ロシア経済が、市場化とともに、大混乱に落ち込んだのと対照的だ。
毛沢東は、「矛盾論」の中で、共産主義社会になっても、矛盾が発生し続けると述べた。スターリンはプロレタリア独裁下で、反対派を弾圧し続け、根絶できるという信念を持ち、実際にそうした。毛沢東は共産主義思想と市場経済思想は陽と陰の関係にあり、両者の闘争が永遠に続き、一つの思想に収斂するはずがないという考え方だった。

鄧小平は、市場経済を導入する時「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」と述べた。社会主義か、市場経済かという原則を議論するのを止めて、実際に役立つ政策を考えるべきだと主張し、中国は社会主義・市場経済という前代未聞の矛盾した國になった。

中国の政治・経済システムの特色を整理してみよう。中国は、共産党が一党支配する独裁国家であり、国民は共産党に対する忠誠を要求される。国家主席は共産党の全国人民会議で選ばれる。共産党員は優秀な人材を集めており、頭脳明晰、品行方正、成績優秀でなければ、党員の資格を与えられない。優れた能力を備えたエリートが國を統治している。

土地は国有である。國からの借地権が売買されており、実際には私有に近いが、國から國が決めた価格で強制収容されることがある。中国共産党は、かってのように労働者と農民だけの利益を代表するのではなく、「広範な人民」の利益を守る国民政党に変わった。

社会主義国家の担い手は、国営企業であるはずだ。中国も例外ではないが、国営企業の内容が変わっている。まず多くの弱体国営企業は情け容赦なく淘汰され、強い企業は株式会社になって存続し、その大株主は政府である。国営企業は国有企業に変わったのだ。しかし政府が社長や幹部を任命しており、殆どの場合、彼等は共産党員である。社内には共産党支部が人事を監視している。

同じ分野に幾つも国有企業が競争関係にあり、エネルギー、銀行、鉄鋼等の産業では、世界的規模の巨大な国有企業の数社が競争している。自動車や家電等の産業では、巨大な国有企業と巨大な民間企業が激しい競争を展開している。この競争の中で、目立って成果を上げた国有企業の社長は、中央や地方政府の幹部とか、共産党幹部に出世する。中国は厳しい競争社会である。

5. 地方政府間の競争

中国は地方分権の國であって、省政府や市政府は財政権を始めとして大きな権限を握っている。省長や市長等の地方政府の長は、中央政府が任命する。省長や市長は地域経済発展の目標を与えられ、他の省長や市長と較べて、優れた成果を上げれば、もっと重要な地方政府の長や、中央政府の幹部に出世できる。そのため、地方政府の間では、激しい経済成長競争が展開されいる。

典型的な成長戦略は工場団地の開発である。地方政府は農民から安い価格で土地を収用し、それを工業団地に変え、いろいろな優遇措置を用意して、内外企業を誘致する。誘致の成功は、団地の土地が売れたことであり、売買益が得られる。地方政府は、その収益によって、さらにインフラを整備して、一段と大きな工業団地を造成する。

こうして地域の雇用が拡大し、住民の所得が上昇する。日本では自治体の首長は選挙で選ばれる。自治体の財源の大部分は、中央官庁に握られ、首長の仕事は中央官庁の政策の沿ったプロジェクトを創り、沢山の補助金を獲得することだ。彼等は地域経済の成長政策を考えるのではなく、補助金を毟りとること努力する。沢山の補助金を獲得すれば、住民は満足し再選される。中国の任命制は、日本の選挙より、はるかに地域経済の発展に役立システムである。

中央政府や地方政府は有望な民間企業に対しては、国有銀行の融資を斡旋したり、時には出資したりして、援助している。それは、高度成長期に、日本政府が国有銀行だった開発銀行の融資を通じて、国民経済的に必要な企業を支援したのと似ている。日本では支援された企業に対して、管轄している中央官庁から人が天下り、役員に就任した。中国では有力民間企業の幹部は、ほとんど例外なく、共産党員である。政府が経営に介入し、経営不振に陥った国有企業は、民間企業に経営委託される場合が多い。

中国の国民は、都市籍と農村籍に区分され、農村籍の者は原則として都市に永住できない。彼等は沿岸部の都市に出稼ぎ(民工)に行き、低賃金で働き、中国経済に成長を支えてきた。最近は、政府は内陸部におけるインフラ投資を拡大し、工場が進出して来たので、農産物価格が上昇し、副業の機会が増えたので、農村は所得が増加した。彼等は民工の仕送りに依存せずに、生活できるようになった。

多くの民工は都市生活に慣れ、また農村に戻る必要もない。その上、農村籍から都市籍に変わりやすくなった。しかし、彼等が都市で普通の市民として、生活を送るためには賃金が低すぎる。今までは、農村に帰る積もりであり、農村は物価が低いので辛抱できたが、これからは、物価が高い都市で、普通の市民として、生活しなければならない。

折から、沿岸部の都市では労働力不足傾向が強まったので、賃上げストのチャンスである。どの労働組合も共産党の影響下にあり、企業に味方している。社長や幹部が共産党員であるから当然だ。民工のストは携帯電話を利用して自然発生的に生まれ拡大した。最近は、20%以上の賃金の引き上げに成功した例が多い。大幅な賃上げが行われれば、内需が拡大するから、輸出に依存しすぎている中国経済は、バランスを回復してくるはずだ。

中国は文化的・思想的伝統の中に、西欧的な競争的な市場経済の機能を飲み込み、中国型経済と中国型企業管理を巧みに創造し、欧米の市場経済国よりも、遙かに高い成長を続けている。今や、世界2位の経済大国になった。輸出が伸びるとともに、中東、アフリカの資源国だけではなく、工業国への直接投資が始まった。輸出先や海外直接投資先には、華僑が活躍している。最近は、ヨーロッパで華僑が急成長し、中国企業のための輸出や投資市場を開拓している。

中国型市場経済には、アメリカ型市場経済を抜き去る勢いがある。 以上

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