アジア動向

静岡新聞論壇 4月3日掲載文

日本批判に転じた韓国

対日感情変えた中曽根氏

中曽根康弘元首相は、1983年に新総理として最初に韓国を訪問し、その6日後にアメリカへ飛び、レーガン大統領と会談し、日本は太平洋を守る「不沈空母」だと述べた。不沈空母として十分な機能を備えるには、韓国の経済成長と日韓協力が必要であり、40億ドル借款という土産をもって、まず全斗煥大統領と会談した。

中曽根さんは晩餐会では韓国語で挨拶をして喝采を浴びた。訪問前に自動車の中で随分練習したらしい。夜の小パーティーでは「黄色いシャツ着た男」を韓国語で歌い、全斗煥は「影を慕いて」を日本語で応じた。

その頃、韓国では、植民地時代に劣等民族扱いされた恨みを忘れぬ反日家が多数派を占め、日本の技術力を評価して日韓交流を望むのは少数派だったが、中曽根訪韓とともに韓国の対日感情が変わり、90年代まで、中曽根さんは、韓国の大衆に最も人気がある日本の政治家だった。

韓国の官僚は日本への関心を深めた。大統領補佐官の故金在益氏は、両国が相互に若手官僚を出向させ、将来、密接な関係を築く基礎にしたいと熱心に提案し、さらに、日韓経済共同体を展望していた。

同じ補佐官の許文道氏は、私に対し、若い層が日本語に親しめるようにしたい。テレビが効果的である。反日感情が強い中では、テーマは経済が無難である。韓国放送(KBS)で日本経済を日本語で話し、その時、大きな声の同時通訳を入れ、注意すると日本語が聞けるというプロジェクトに協力しろというので、私は応じた。その後、日本語講座が始まった。

2001年に新大久保駅で日本人を救おうとして犠牲になった留学生の李秀賢さんは、中曽根訪韓の頃、小学生であって日本に関心を持ったという。

安倍晋三首相は、日韓対立の緩和というアメリカの要求に応じて、今月、ハーグで日米韓の会談に臨み、健気にも朴槿恵大統領に韓国語であいさつをしたが、彼女は素っ気なく韓国語で応答しただけだ。

安倍首相の努力も空しく

80年代初めの韓国では、日本の技術と資金が必要であり、それによって、90年代には見事な成長を遂げ、今や、電子工業では日本を遙かに抜き去り、高級機械産業、海外プラント建設業等、日本が得意とした分野でも抜きつつある。

中国は韓国の輸出の26%を占めているのに対して、日本はわずか6%である。韓国の高級素材や機械の一部は日本企業の現地生産によっているが、韓国経済にとって、日本の必要性は激減した。経済的に最も重要な国は、貿易や投資が集中している中国に変わった。

それとともに、韓国は激しい日本批判に転じた。「日本人は、人権思想と良心を欠き、歴史を反省せず、慰安婦問題を軽視している」と国際舞台で大声を上げている。また、中国と一体になって、歴史を反省しない日本を批判して国際世論を動かし、国際社会における日本の政治的・経済的発言力を低下させるのに成功している。安倍首相の努力も空しく、日本は国際的な圧力によって、韓国への妥協を迫られている。

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