アジア動向

静岡新聞論壇 8月15日掲載文

護憲国家から貿易国家へ

敗戦後吸収した民主主義

敗戦の夜には、電線が消失した焼け跡のバラックの街全体が、薄暗いローソクの灯りの海となり、夏風が窓から吹き込んだ。それまでは爆撃の目標にならないように、窓も入り口も暗幕で囲み、蒸し暑い生活を送っていた。
薄暗い街の灯りはまるでダイヤモンドを鏤めたように輝き、夏の風とともにハエや蚊まで入り込んだが爽快だった。旧制中学の3年の私は、これからは米機による無差別都市攻撃の中を黒焦げの死体を跨いで逃げることも、手足がバラバラになった艦砲射撃の犠牲者を見ることもない。死なずに済む喜びが心の底から溢れ出た。
敗戦直後には、軍国主義の歴史や国語の教科書が廃止され教師は自由に教えた。旧制中学生は軍事工場か、米軍の上陸に備えた陣地の構築で働いており、先生は教える機会がなかったので、敗戦になるや全知識を生徒に注入した。国語の教師は島崎藤村の詩集と、万葉集の長歌の幾つかを無理矢理に暗記させ、物に憑かれたように解説したので、私は初めて文学の奥行きを知った。私の生涯の中で、教科書のないこの授業が最も大きな影響を与えた。
現在の年配者はその頃飢えに苦しみつつ、平和と自由の素晴らしさ知り、現在でもそれと平和憲法とを無意識に結合させて護憲論者になっている人が多い。
ところで、時代は変わり、米ソの冷戦から、①人権と自由を基礎とした民主主義国②「天」の下に整然とした秩序を築こうとする中国③全て神の思し召しのままに動くイスラム―の三大思想が対決する時代に入った。日本人は明治維新以降、欧米文化を学び、敗戦後はアメリカ思想を吸収し、民主主義が人類にとって普遍妥当的な真理だという確信を持っている。
ところが、民主主義を正しいと信じているのは人類のごく一部であって、中国は民主主義よりも選ばれた「賢人」による寡頭政治の方が優れていると信じており、長い歴史を通じて民主主義政治の経験が全くない。イスラム社会では部族ごとに存在する宗教指導者が政治的・倫理的な判断者であり、男女別社会の維持、断食、毎日5回の祈り、金曜日の大集会こそ、人類の生存を維持する戒律だと信じ、厳しく守られている。

革新製品開発し続ける道

アメリカは、人類の幸せのために、武力を使ってでも世界に民主主義を広げる義務があると錯覚している。これに対して多くの反民主国家は、核兵器を十数個所有すれば、アメリカが報復攻撃を恐れ、民主化のための核攻撃が不可能になると信じている。冷戦時代には米ソはお互いに報復を恐れて冷静に行動した。
  核兵器の生産技術はタイムラグをもって必ず新興国に拡散して、反民主主義国の思想防衛力が高まるはずだ。例外は国がないアルカイダであって、彼らが核兵器でアメリカを攻撃した時、アメリカは報復すべき国がない。
  核兵器のない日本が安全を守る道は、相手国の発展に不可欠な革新製品を開発し続け貿易を拡大するしかない。必要な国を攻撃する国はないはずだ。

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