随想・書評

専修大学「大学出版部の本棚」10月1日

田中隆之編著「日本経済・その構造変化をとらえる」の書評

この本は、専修大学経済学部の一般市民向けの公開講座を纏めたものだ。「東日本大震災と日本経済に構造変化」の序章に始まり、1「競争と連携が育てる元気な中小企業」、2「東アジアの貿易構造の変化と日本経済」、3「現代日本農業の原点を考える」、4「変わる「日本的経営}と雇用・賃金・労使関係」、5「大きく変貌する日本の金融システム」、6「我が国の財政の何が問題か」という内容であって、日本経済が当面している問題を総合的に取り上げている。

公開講座であるから、どの章も、平易な言葉を使い、馴染みやすい例を取り上げ、判りやすくする努力が払われている。大きな問題を小論文に纏めるのであるから、専門用語を使いたくなるものだ。それを止めるのはかなり難しい。専門用語を使う毎に解説すると、長い文章になる。専門用語なしで説明するには、昆虫学者のようにこまめに、適切な例を発見するする必要がある。著者の先生方は、この難問に挑戦された。
気の毒なのは、金融の分野だ。最近、金融構造が複雑になり、専門用語が激増した。それをあまり多く使わずに短く纏め、かつ名論文に纏まるのは至難の業だ。財政もそうだろう。

経済学の目的の1つは、経済や産業の変化に伴って発生する関係する人達の努力、運・不運、悲喜こもごもの人生を理論的に描くことである。不幸な人生を理論的に見事に描ければ、対策が説得的なり、生きた経済学になるはずだ。現在で言えば、フリーターや失業中の若者、パートの母子家庭の生活や悩みを知り、経済的な解決方法を見いだすことだ。この点でも、この本は成功している。
日本経済は企業活動の中心が海外に移転した。日本国家の総合力が低下すると、海外の日系企業が大きな影響を受けるようになった。日中の政治対立はその好例である。

7つの論文の背景には、こうした多様な観点が、それぞれ意識されており、見事である。 多くの論文は、まず歴史を簡単に述べ、何故、現在の経済問題が生まれたかをわかりやすく述べている。

つぎに経済が成長して、日本が豊かな国になった時、教育水準が高く、長い歴史の中で勤労モラルが形成された周辺諸国も、日本からの技術移転に助けられて成長を開始した。間もなく、日本の製造業は、これらの国とのコスト競争に敗れて、工場が海外に移転した。その結果、国内では失業が増え、消費や投資が低迷して、長期のデフレ経済に落ち込んだ。企業は海外の低賃金と戦うために非正規社員を増やしたので、労働力の質が低下するという問題が生まれた。
その上、老齢化率が高まり、また医学が進歩した。その皺寄せが若者にかかり、出生率を一層低下させている。企業は海外の工場で収益を上げている。株主、役員、本社員は賃金が上がり、日本は不平等社会に変わった。こうした高賃金国がたどる歴史的な宿命が、それぞれの専門分野で、わかりやすく述べられている。

この本では、こうした危機的な状況に中でも、成功した中小企業や農業の例が取り上げられ、知恵を出せば、経済低迷を抜け出せるという希望を与えてくれる。日本経済が長期低迷を脱するには、ベンチャースピリットを持った人材の育成、ベンチャー資金が集まる仕組みの確立、ベンチャー技術を販売する市場の拡大、ベンチャー企業の経営ノウハウの研究等が必要である。

私は幸せなことに、55年間もエコノミストの生活を送ってきた。それぞれの時代に、日本人は懸命に働いた。戦前から農地解放に命をかけた人々がいた。食えなくて満州の開拓に向かい、敗戦とともに命からがら一文無しで帰国して、再び荒れ地を開拓した人もいた。戦後間もなく、地方の中学生は重化学工業地域に就職し、一生同じ企業に勤めて腕を磨き、世界一の工業を創った。そうした結果、日本は豊かな社会になり、今や衰退に入った。 これを立て直すには、平成の人は昭和人と同じぐらい、寝食を忘れて考え、腕を磨き、働かなければならない。これが読後の素直な感じである。

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