中近東動向

静岡新聞論壇 9月25日掲載文

スコットランドの自治権拡大

イギリスの3「植民地」

平和とは、全ての国が、他国の領土を侵さず、既存の秩序を守ることである。これは強者の主張であり、今まで武力が弱く、領土を奪われた国は、泣き寝入りしろということになる。しかし、世界の状況は変わり、既存秩序を守る力が弱くなった。

最も激しく、領土奪還の戦いを進めているのは、イスラム国とパレスチナである。いずれの国境も第一次世界大戦の時に英仏の秘密条約によって決まり、民族は分断された。アフリカでは多くの地域で、列強によって民族がニ分されて、異民族と一つの国がつくられ、列強の意図通り独立国では主導権争いによって熾烈な同士討ちが続き、最近では、イスラム原理主義が強まった。

イギリスは狡猾である。連合王国であるイギリスはイングランド(ゲルマン系民族)と、事実上、三つの「旧植民地」(ケルト系民族)からなっておりウェールズを13世紀、スコットランドとアイルランドを18世紀から19世紀にかけて合併し、その際、悲惨な事件が発生した。

スコットランドでは、16世紀にメアリー女王が断頭台に送られ、チャールズ王子は17世紀に大軍団を率いて戦ったが、イングランド軍に敗退した後、合併させられた。産業革命の時、スコットランドでは都市に人口が集中して、広大なスラム街が生まれた。最大都市のグラスゴーでは、ロンドン以上に、尿や汚物がスラム街に積み上がり、コレラ・チフス等の伝染病の発生率や死亡率はイギリスで最高だった。

アイルランドは、農業国のままで捨て置かれ、プロテスタントのイングランド人等が膨大な土地を持ち、カトリックのアイルランド人を小作として使い、収穫が少ない小作は遠慮会釈なく追放された。18世紀から19世紀半ばにかけては、しばしば大飢饉が発生し、ケネディ一族も生きるために、アメリカに渡った。

アイルランド人は貧困から抜け出すため、1922年に北アイルランドを残して独立に成功し、第二次世界大戦中に中立を守り、ドイツ空軍はダブリンの煌煌とした灯りに導かれて、ロンドン爆撃を続けたという。

北アイルランドでは、反イングランド運動が強まり、70年代に入ると本格的なテロ活動が始まり、無数の死者が発生し、98年にやっと和平交渉がまとまった。

世界で高まる独立運動

イングランドは、独立運動が起きると、まず凄まじい弾圧を加え、それでは収まらない場合には、経済のキーポイントを手放さずに少しずつ譲歩する。今回のスコットランド問題では、ポンドの使用禁止で脅し、自治権の拡大を認めたが、今後、議員の選挙区割りを、イングランドに有利にするといった細工をするだろう。独立は、投票によって争われ、民族党の党首は爽やかに敗戦を認めた。イギリスの3「植民地」は、それぞれ歴史・言語・習慣を守って自治権の拡大に成功し、今後もさらに自治権を拡大し、国の構造を変えるだろう。なお、同じ時期に、イギリス軍は独立運動を粉砕するため、「イスラム国」に輸送機を出撃させている。

世界で、合併された国の独立運動が高まっている。沖縄県は日本に帰属したことによる被害が大きく、基地問題は独立運動に発展するかもしれない。

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