日本動向

10月1日

ナショナリズムの反省

1. 天皇制宗教の日本

日本は、明治憲法と教育勅語が1890年に発布されて天皇制宗教の国になり、天皇が、倫理、道徳、権力の中心であって、勅語はそのまま法律としての機能を持ち、国民は天皇を神として崇めることになった。
政府が宗教を決めるのは、奇妙な話であるが、そうせざるを得ない事情があった。薩長は幕府を倒して新政府を創ったが、旧武士は廃藩置県によって主君と職を失い、新政府を恨み、徳川家や旧藩主に忠誠心を懐くものが多かった。彼らは新政府に対して集団となって、歯向かってくるかもしれない。

また北からロシア、東からアメリカ、西からイギリスとフランスが、虎視眈々として、日本の植民地化を狙っていた。薩摩藩や長州藩はイギリス軍やフランス軍と戦い、彼らの実力を十分に知っていた。
当時のドイツは、経済が遅れた田舎の農業国だった。しかし、ビスマルクの独裁政治の下で、デンマーク、オーストリア、フランスとの戦争に勝って独立国家に統一され、工業が急成長し、軍事大国になった。 ビスマルクによると、ヨーロッパの大国は強盗であって、これに対抗するには、独裁的な政府と、倫理感の強い国民が必要だ。ドイツには、キリスト教を信ずる大農経営者が多いため、国民は規律を守り、犯罪が少なかった。ビスマルクは、国家権力と規律ある階層とを上手く結合して、独裁政権を創り、近代化に成功した。

岩倉具視、大久保利通、伊藤博文など維新政府を担う人々は、 岩倉使節団に参加し、ビスマルクとの対談によって、近代化には、国民の宗教的信念が必要であることを知った。日本の宗教では、キリスト教のように、宇宙を創造し、絶対的な信仰と服従を要求する神が存在しない。 そこで、天皇という絶対的な神を創りたい。その下では、一君万民の制度が作られ、すべての国民は学問を修めれば、平等に国家公務員や地方公務員になる機会が与えられ、天皇を補弼の任務に当たることが出来た。国民は分に応じて、天皇を補佐する制度が生まれた。 こうして、天皇を神として仰ぐ宗教が生まれた。

2,知識人も二次大戦に協力。

2次大戦中には、知識人にも天皇制宗教の信者が増えた。大正・昭和の日本を代表する哲学者は西田幾太郎であって、代表作「善の研究」は広く読まれ、敗戦の年に75歳で亡くなった。現在でも、西田哲学を研究している学者が少なくない。

西田は晩年に、「善」を国家への「道義」と、個人的な「道徳」の2つに区別し、西欧文化に囲まれたアジアの日本では、アジアへの「道義」を尽くすこと(アジア解放)が宗教的な責任だと述べた。西田哲学は、天皇制宗教に近づき、彼が嫌った軍事政権に同調する結果になった。
彼が活躍した頃、志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎等の「白樺派」の文学者は、宇宙の意志と自分の意志が調和するのを実感したいと真剣に考え、資金を出し合って、「新しい村」で農業を始めた。やがて破綻して本業に戻り、宇宙との調和に触れる作品を書いた。2次大戦が勃発すると、白樺派のほとんど全員は、天皇が宇宙の調和の軸であり、天皇の下で戦うのは当然だと主張した。

一流経済学者は、前述したように日米の経済力や軍事力の比較分析で軍に協力した。陸海軍はともに、日本における原爆の製造可能性とアメリカの開発レベルの推定を学者に依頼した。仁科芳雄、湯川秀樹、坂田昌一、長岡半太郎等、そうそうたる学者が直接・間接に協力した。画家も戦争に協力した。藤田嗣治は「アッツ島玉砕」、宮本三郎は「山下・パーシバル両将軍会見図」の名画を残した。
昭和初期の知識層は、ほとんどすべて、戦争になった時には、国民は天皇の命令に従って、戦争に協力すべきだと思い、そのように行動した。

戦争に反対したのは、共産主義者の数百名に過ぎなかった。

軍の最高責任者は、45年春頃には負けることが判っていたが、天皇を信じ、勝利を確信している軍隊と国民に対し、降伏を言い出せなかった。国土が焼け野原になっても戦い続け、原爆が投下されて降伏が決まった。天皇は、敗戦直前まで、戦力が絶望的に低下していることを知らされなかった。

3,敵視する情報は止まらない。

一旦、戦いが始まると、反対できない空気が生まれる。二次大戦中には、最高のインテリさえそうだった。現在、反中国と危険か関係にある。周恩来は、「尖閣列島領有問題は後世に任せる」と田中首相に述べ、鄧小平は領土議論を先延ばしすると言った。しかし、現在の日本政府は、中国漁船の接近事件が多いので、「尖閣列島には、領土問題がない」という主張になり、新聞もテレビも揃って同調している。中国は軍事大国であり、アメリカは、武力を使って日本を助けようとは思っていない。

大正時代に、中国に21カ条役を突きつける時は朝日新聞は賛成に世論作り、満州事変の時には、朝日、毎日の両新聞がが争うように賛成した。売り上げを伸ばすためだった。苦い事件が思い出される。

ページのトップへ