日本動向

静岡新聞論壇 11月8日掲載文

日本の安全保障体制の揺らぎ

沖縄の歴史と立ち位置

沖縄では、オスプレイの配置、米兵の暴行の頻発に対して、県知事と市町村長を先頭として、全県民が怒り猛っている。

沖縄県には、日本における米軍基地面積の70%が集中し、それは沖縄本島の実に20%を占めている。アメリカの海外兵力の30%が沖縄に配置され、アジアにおける軍事的支配の中核になっている。
基地の周辺の住民は、航空機の騒音に悩まされ、墜落事故の発生を恐れて、生活している。また米兵には、米軍の占領地であるかのように、県民に対して乱暴狼藉を働く者がいる。基地の中は、アメリカであるから、犯人が基地に逃げ込めば、沖縄の警官は逮捕できない。

現在、沖縄は日中対立の最前線に位置し、日中の小型な軍事衝突の可能性はゼロとはいえないから、沖縄県の小島や漁船が被害を受けるかもしれない。万々一、衝突がエスカレートして米軍が出動したら、中国軍は米軍を叩くため、直ちに沖縄基地にミサイルを打ち込み、沖縄本島が戦場になるという悲劇が発生する。
沖縄県民にとって、日本人であることが幸せだっただろうか。歴史を振り返ると、明治政府は1879年に軍隊を派遣して琉球王国を無理矢理に沖縄県に変え、日本語を強要した。主要産業の砂糖きびは台湾との競争に敗れ、農民は悲惨な生活を送った。
2次大戦の終わりには、沖縄本島で悲惨な地上戦が展開され、10万人の市民が死に、琉球王国の遺産は悉く灰燼に帰した。

日本は52年、講和条約によって独立したが、沖縄県だけ20年間、アメリカ軍の占領下に置かれ、少女が米兵に暴行されても、「沖縄政府」は逮捕も裁判もできなかった。また米軍が自由に行動し、ベトナム戦の初期には、沖縄本島の北部基地内で枯れ葉剤散布の演習が行われ、後に地域の住民には若くして癌で亡くなった人が多く、奇形の少動物が激増したという。
72年の日本復帰後も、沖縄は対アジア・中東の前線基地であり、オスプレイのような最新鋭の武器が集中的に配置され、米軍の事故や米兵の暴力を恐れる住民の生活は、40年経っても変わらない。つまり、沖縄は、過去、70年間近く、日本の安全を守る犠牲になり、今もそうなっている。

復帰後悔し独立望む声

琉球王国は長い間、実質的には明や清の属国であって、中国文化の影響を強く受け、現在でも、墓の形や祖先供養の方法は台湾そっくりであり、また道教の信者が少なくない。沖縄県民の多くは心情的に中国に近く、知事室の大屏風には漢文が書かれている。
最近、県民には日本復帰を後悔している人が増え、20%の人が独立を望んでいるそうだ。私達が、米軍基地を専ら沖縄県に押しつけるという本土意識を持ち続けると、やがて沖縄に独立運動が起こり、米軍依存の日本の安全保障体制は、内部から崩れる可能性がある。
世界では、イギリスのスコットランド、スペインのカタルーニャ、バスク等、自治体の独立運動が盛んである。経済のグローバル化とともに、自治体は独立できる経済的な力を備えたからだ。

 

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