日本動向

静岡新聞論壇 1月21日掲載文

お蔭参りとアベノミクス

統一的原理追及は無理

江戸時代には、農民は土地に、町人は奉公先に、縛り付けられていて、勝手に移動出来なかった。ところが、およそ60年に1度、日本の全人口の10%以上の膨大な数の人々が、突如、仕事も家庭も約束も放り出し、伊勢参りに向かった。

彼らは柄杓を帯に差し、身ひとつで伊勢を目指したが、ひとりでに、男も女も子供も踊りに加わって、一日当たり数万人にも膨張し、大熱狂の中を伊勢街道に流れ込んで行く。お蔭参りの参加者は、近畿、山陰、山陽、北陸、美濃、東海地方にまで広がった。

街道筋の大商人や庄屋は、屋敷を全部開放して、彼らを手厚くもてなし、鴻池のような豪商は、お蔭参りが始まると直ちに、わらじや、むすびを包む竹の皮を用意して、お蔭参りの集団を待ち、病人のための薬までが配られたという。

お蔭参りはふつう3カ月から5カ月ほど続いてピタリと終わり、その後は何事もなかったように平静になる。お蔭参りに、幕府や藩は邪魔をせず、しかも、大財閥が何の見返りもなく大金と資産を投入したのは、恐ろしい時代到来を恐れる感覚を共有したからだ。

お蔭参りは、大型バブル経済の末期に発生する(中西輝政氏による)。バブル経済の反動の恐ろしさを見通せない不安が、人々を突き動かした。実際、お蔭参りの後に、大不況や飢饉が発生したが、お蔭参りで一体感を強めた民衆は、それに耐えた。

60年も経過すると世の中は一変する。1970年代から80年代にかけては、日本経済は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、海外諸国から「日本経済成長の秘密」というテーマの欧米諸国から講演依頼が殺到して応じきれない程だった。しかし現在では、日本経済をテーマに取り上げる欧米の雑誌はほとんどなく、取り上げたとしても「日本の失敗の轍を踏むな」という警告である。

五輪で経済に活力を

政府はアベノミクスによって、お蔭参りのような興奮状態をつくり、経済の行き詰まり感をぬぐい去ろうとした。2014年にはゼロ金利の下で、さらに通貨供給量を増やすという、驚くべき「異次元の金融政策」の大冒険をし、国民の反応を待った。

しかし、大企業は膨大な収益を使わず、経営の安定のため、内部に溜め込み、お蔭参りの豪商のような、国民との連帯感を全く失っている。企業はグローバル化したので、それだけ国民経済に対する関心が薄れたのである。

国民の興奮は、大型イベントと結合して盛り上がるものだ。かつて、東京オリンピックや万博で全国民の心が一体となって、女子バレーを応援し、6400万人が万博を訪れた。次の大イベントはオリンピックである。それは、一部官庁が企画するのではなく、全国民が参加する形式をつくり、競技場の進行状況や参加競技の選手や新しい道路等々が絶えず報告されれば、オリンピックへの期待感を共有できるだろう。

アベノミクスの長期目標はオリンピックをお蔭参り化して、国民の一体感を強めることだ。そうすれば経済に活力が生まれる。

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