経済学の忘れもの

出版:日経プレミアムシリーズ

発行年月:2013.02.22

税込価格:¥935

目次  はしがき

目次

第一章 日本経済を支えた「イヱ宗教」の盛衰
1.平和な国の宗教と統治システム
2.イヱ宗教の近代化
3.成熟国の宿命
第二章 宗教は民族の生命力
1.宗教は民族が生き抜く力
2.ロシア正教の底力
第三章 キリスト教の世界経済制覇
1.キリスト教と国家の戦い
2.キリスト教の新大陸制覇
3.自由経済と統制経済の繰り返し
4.プロテスタントの経済哲学
5.世界制覇力の衰退
6.アメリカの経済体制論争
 

 

第四章 儒教・陰陽思想と中国経済の膨張
1.優れた官僚制度
2.政治・経済を特徴づける陰陽思想
3.社会主義市場経済の発明
4.独裁国家の弱点
5.中国経済の世界制覇への道
第五章 イスラム国の原点復帰
1.イスラム世界の繁栄
 (8世紀から17世紀まで)
2.近代化・工業化の否定
3.シーア派イスラムの底力
4.スンニ派の本拠サウジアラビア
5.アフガン・イラクの強いイスラム軍
6.近代国家トルコとイスラム教
7.東南アジアのイスラム国の繁栄
8.新たなイスラムの戦い
終章 日本の未来
あとがき

はしがき

 日本経済は、歴史的にみて、新しいタイプの衰退過程に入ったようだ。多くの女性は、社会的地位が向上し、更なる進歩を目指して、仕事に打ち込んでいる。コンビニをはじめとして、独身者を支える経済環境が整ったが、それに比べて、保育制度が劣っているため、出生率は一層低下し、労働人口は早いピッチで減少している。

 一方、医学が目覚ましく進歩し、高級な治療機械や新薬が次々に開発されて、平均寿命が延び、弱った高齢者が激増し、財政から莫大な社会保障費が投入され、例えば、医療費については、70歳以上の人に対して、一人当たり年間80万以上の補助金が支給されている。高齢者の年金も含めて、その負担は、人口が急激に減少している現役と将来の世代に重くのし掛かる。また育児、教育、科学研究に向けられるべき資金が、高齢者の医療費や年金に吸収されているので、経済成長力は衰えている。そうした中で、彼らはその負担に耐えられるだろうか。

 日本人は熱心に働き、生産性が向上して、90年代始めまで賃金上昇が続いた。企業は、上昇し過ぎた賃金コストを引き下げるため、工場を低賃金で良質な労働力をもつ新興国に移し、そこで技術者や熟練工を育て、日本の企業が開発した技術を移転した。その結果、新興国では、設備投資、雇用、賃金が増加して、工業水準が向上し、工場を移転した日本の企業の利益が増加した。しかし、日本国内では、設備投資、雇用、賃金が低下し、経済成長率は低迷している。それは、経済のグローバル化の結果と言えよう。

 日本経済の力が弱まると、中国、韓国では、70年以上昔に受けた侵略や植民地化の屈辱を晴らすのは、この時とばかり、反日運動が未曾有の激しさになった。その上、不幸にも、日本は大地震の多発期に入ったらしい。弱り目に祟り目である。どうしたらよいだろうか。

 ところで、世界の歴史を振り返ると、経済が衰えた後、再生した国もあれば、世界から消えた国もある。

 日本は、ユーラシア大陸との間に海があるという地勢学的に恵まれ、歴史的に、外国に占領されたのは、アメリカによる一回だけであり、一〇〇〇年以上の歴史を持つ国としては奇跡である。しかし、現在では、日本の立地条件は、アメリカ文明と中国文明が、真正面にぶつかり合う地勢学に危険な場所に変わってしまった。

 ユーラシア大陸では、数千年の歴史の過程で、騎馬民族と農耕民族、或いは騎馬民族間、濃厚民族間で凄惨な戦いが繰り返された結果、中国、インド、地中海・イスラム、ロシアの4つの文明が形成された。いずれの文明も、多様な言語、多様な民族から成り立っているが、それぞれの固有な宗教が生み出した伝統・慣習・文化を核として纏まった巨大な文明であり、苦闘の歴史を潜り抜けて、現在まで生き残ってきた。

 最近、アメリカ文明の経済力が衰えると、重しが取れたように、ユーラシアの四大文明が蘇ってきた。中国はアメリカに次ぐ経済大国にのし上がり、インドは、半世紀先には、中国を抜き、世界一の経済大国になりそうだ。ロシアは、北極海も支配するエネルギー大国になりつつある。現在のイスラム世界における戦乱は、今後、イスラム文明が壮大なスケールで復活するエネルギーと言えよう。

 ユーラシア大陸の東南の隅に、イスラム教、仏教、ヒンズー教、キリスト教を信ずる中型の国々や島があり、 また1つの国の中にこれらの多様な宗教が存在している。そこには、合計すると六億人が住んでいる。

 現在の日本は、キリスト教のアメリカ文明と儒教の中国文明が激突する最前線に立っている。この米中対立を巡って、インド、ロシア、イスラム諸国の影響力が次第に増大してきた。また、日本経済は、多宗教・多文化地帯の東南アジアに進出して、多様な民族と華僑に接しつつ、中国経済と競っている。巧くやれるだろうか。

 日本は、どの大文明にも属さない孤独な国である。敗戦後、アメリカの軍事力に保護され、発展してきたが、遠い将来を展望すると、世界史的な変革によって発生した地政学的なリスクに対して、また異質な文明・文化群に対して、如何に対応すべきか、難しい課題を背負い続けることになる。日本の文明は、下手をすると、人口が激減しているので、将来、巨大文明に飲み込まれるかもしれない。

 私は、幸せなことに、現在まで55年間、エコノミストとしての生活を続けることができた。しかし、残念ながら、日本経済の衰退を防ぎ、かつ長期的に生存する合理的な方法を発見できず、結局、それは、国家の危機に真正面から立ち向かおうとする国民の気持ちにかかっているという単純な結論に達した。国民の気持ちとは、長い歴史の中で形成された倫理とも言える。つまり宗教と深く関係している。強い宗教を持った国は、いずれも、長期間、植民地的支配を受けても、固有な文化を守り抜き、再生する経済力を蓄えることができた。

 エコノミストは、学者と違って、雇用主からいろいろな仕事を命ぜられる。私の過去の仕事を大まかに整理すると、産業調査15年、マクロ経済調査15年、地域調査5年、海外調査20年になる。主たる海外調査の地域は、アジア、中東、北アフリカ、旧ソ連圏、南北アメリカだった。その体験から、国の経済の成長や衰退は、宗教や倫理と深い関係にあるという確信を持っている。

 私は3年前に癌の手術のため、三島市の静岡癌センターに入院し、歴史と宗教の本を持ち込み、連日、真夜中まで読んた。看護婦さんは本の多さに驚き、私だけ消灯時刻を免除してくれた。

 夜が来る前に、病室の窓から夕日が駿河湾の彼方へ美しい残照とともに静かに沈んでいくのが見える。西方浄土が直ぐ近くにあるように思えた。私の一生の仕事だった経済分析と宗教とを結びつけやすい環境だった。世界の巨大宗教の歴史とその強靱性を調べつつ、日本独特のイヱ宗教の再建が如何に重要であるかを述べるという、この本の構想が纏まった。